貞宗院様四百年遠忌

(2008年4月19日)



当山開基「貞宗院様(二代将軍秀忠の母方の祖母)」の
四百年遠忌が平成20年4月19日に行われました。

法号は「貞宗院殿英譽珠光大禅定尼」で
命日が慶長14年(1609年)4月19日です。



春のお天気は変わりやすく、晴れの日と雨の日が日替わりで
当日も予報では雨が残るお天気だと伝えていました。
風が時々強く吹きましたが雨に降られることなく
順調に式次第は進みました。

御霊屋へ

△ 当山開基 貞宗院殿英譽珠光大禅定尼様御霊屋


四百年遠忌という法要にご縁を戴き、はたして百年前の三百年遠忌は
どのような形で法要が厳かに行われたであろうか?
そんな思いをはせながら準備を進めた。

総代、世話人が数回お寺に集まり、ご住職と式の流れについて打ち合わせをした。
当然のことながらご住職はじめ、みんなが経験のないことなのだ。

ご住職がいろいろ調べられ、式次第の詳細が決まってきた
応援いただく、近隣各寺の若手上人が
事前に式次第の運びを確認された。


当日は世話人はじめ関係者が、境内、本堂、御霊屋など手分けして準備作業を行う。
毎年行う「お施餓鬼」時の準備で、慣れてはいるが本堂前の「角塔婆」
いつもと異なる雰囲気をかもし出していた。
角塔婆
法事や葬儀の際には、塔婆に経文や故人の戒名を書いてお墓に建てますが卒塔婆には、五輪塔婆・角塔婆・平塔婆・経木塔婆等があります。

本堂前に建てられた角塔婆からは、晒し木綿の「善綱」が本堂内のご本尊「阿弥陀如来様」のお手に繋がっていて、阿弥陀如来様から善を頂く導線になっています。

角塔婆を触ると、阿弥陀如来様のお手から、を頂けるといわれています。
本堂前に建てられた角塔婆
400年遠忌法要が始まりました。

法鼓音が響き、侍者に先導され導師、各上人が角塔婆前に整列されました。儀式開始にあたり司式担当上人より「貞宗院様」の 伝えられているお人なりや略歴、貞宗寺の歴史などのご説明がありました。

最初の儀式、角塔婆を清め(洒水)をし、これから法要を始めますと読経をします。

半鐘が響き、本堂正面より導師が入堂され本堂内での儀式が始まります。
角塔婆前
△ 法要が始まりました
導師本堂へ 式典始まり
導師が本堂へお入りになります導師・各上人が定位置に着かれました

維那役上人の朗々とした発声で読経が始まり、
参加された方々のご焼香があり、無事遠忌法要が終わりました。

住職挨拶 称名寺住職挨拶
住職より400年遠忌にあたり御礼のご挨拶鎌倉組組長からのご挨拶

本堂での法要が終わり、浄土宗鎌倉組組長「称名寺住職成美上人」からご挨拶を頂き
導師を務められた貞宗寺住職から 400年遠忌にあたり各寺の上人及び
参列された檀家の皆様へ御礼のご挨拶がありました。

御霊屋へ
最後の儀式、お墓参りです。

導師・各上人そして参列者が御霊屋へ移動しお参りをします。
御霊屋へお墓参りです
導師・各上人が読経されるなか稚児による、
献灯(お明かり)」「献花(お花)」「献香(お線香)」「献茶(お茶)」が 行われました。

参列された方々のご焼香が終わると、
飾られていた生花を取ってお墓や仏壇へとお持ちになりました。
御霊屋で
御霊屋前で




昨年(平成19年)檀信徒親睦旅行で「貞宗院様の四百年遠忌」を迎えるにあたり、徳川家ゆかりのお寺「岡崎の大樹寺」「静岡の宝台院」を訪問しましたが、両寺とも本堂に「厭離穢土(おんりえど)」「欣求浄土(ごんぐじょうど)」の文字が掲示されていました。

徳川家康が今川義元の人質となっていたとき、桶狭間で織田信長の急襲を受け義元が討ち取られました。織田軍の追跡をおそれた家康は、徳川家の菩提樹「大樹寺」へ逃げ帰り先祖の墓前で自害しようとします。そのとき13代住職が仏教の教えである「厭離穢土・欣求浄土」を示し自害を諌めました。

この言葉は、忍従の日々を幼少から過ごしついに天下人となった家康が、出世開運を願い支えとなった仏教の教えの一つです。

(武士が自分の欲のために戦い、国が穢れている。その穢土を厭い離れ、永遠に平和な浄土を欣いそれを成すという意味。)


雑学で筆自慢の世話人が貞宗寺本堂にも、と
四百年遠忌に間に合わせるべく作成し当日早朝本堂に設置しました。