貞宗寺の大蔵経について
 
2002年6月26日 片岡


先日、貞宗寺さんを訪問したとき、寺宝の「大蔵経」を拝見させて頂きました。
その「大蔵経」と言うのは、正確には「大日本校訂大蔵経」と称し、明治12年から17年にかけて刊行されたもので、日本最初の活字による「大蔵経」刊行であります。
 
以下に、簡単に「大蔵経」とは如何なるものかを説明いたします。
 
(1)大蔵経の種類
 
仏陀の死後、仏陀が説いたもろもろの教えを、その弟子達が手分けをして整理をしました。
その内容を文章化したものを仏典や経典といいます。
それら仏典や経典、さらにそれらを解釈した論書などを集大成した叢書を「大蔵経」または「一切経」といいます。
大蔵経の構成は、僧としての生活規律を説いた「律蔵」と、説教を述べた「経蔵」と、それらの解釈をした「論蔵」の三蔵から成っております。
大蔵経には、その書かれた言語に基づき、大別して3系列のものが存在しております。
  • 1つは、「パーリー語三蔵」で、インド西部で使用されていたパーリー(巴利)語で書かれていた経典で、インドの南部から南アジアに伝わり、いわゆる「南伝仏教」の経典となったものです。

  • 1つは、「チベット大蔵経」で、サンスクリット語からチベット語に翻訳されたものであり、特徴として密教関係の経典が多く含まれております。

  • 最後の1つは、われわれに身近な「漢訳大蔵経」であります。これは、インドの仏教者が中国へ来たり、中国の僧がインドより持ち帰ったりした経典を、主としてサンスクリット語から漢語に翻訳したものです。
    翻訳経典の外にも、中国仏教者の著作も含まれており、また大乗仏教の経典も多く含まれております。
    特徴は、サンスクリット語からの逐語訳ではなく、意味をよく咀嚼して中国語に翻訳したことであります。
    しかし反面、サンスクリットの原意が不明なこともあります。
(2)大蔵経の出版
 
    以下に主な大蔵経の出版物について説明します。
     
  • 「パーリー語三蔵」
     
    パーリー語によって書かれた大蔵経で、仏陀の死後100〜200年後に書かれたものです。
    パーリー(巴利)語についての研究は、19世紀の後半にヨーロッパ人が研究を開始し、1824年に最初の「パーリー語文典」をCloughが出しました。
    また1877年には、Fausbollが仏陀の前世譚である「Jataka」7巻を出版しました。
    日本では、本経典の存在を明治に至まで知りませんでした。

    その後日本でもパーリー語の研究が行なわれ、長井真箏、立花俊道、水野弘元が「パーリー語文典」を出版するに至りました。
     
    「パーリー語三蔵」の日本語訳は、「南伝大蔵経」として昭和10年代に、65巻70冊が出版されております。
     
  • 「チベット大蔵経」

    「チベット大蔵経」の構成は、カンギュル(律と経)とテンギュル(論)とからなっています。
     
    現在われわれが利用できる出版物としては、「影印北京版西蔵大蔵経」151巻(昭和29年〜37年)があります。
     
  • 「漢訳大蔵経」
     
    漢字への経典の最初の翻訳は、147年に安世高が小乗経典を訳し、178年に支婁迦讖が大乗経典を訳しております。
    その後、中国歴代(漢、北魏、隋、唐、宋、元、明、等)の仏教研究者によって、原典翻訳および経典研究が継続して行なわれました。
     
    出版物としては、宋の時代から木版刷による開版印行が行なわれるようになりました。
    宋版の第1回刊行は、971年の「蜀版大蔵経」500有余巻であります。
     
    さらに、契丹版、高麗蔵をも出版されました。
     
    元版も1269年〜85年にかけて出版され、明代にも2回開版されました。
     
    日本にも上記のこれら木版刷蔵経がもたらされております。
     
    • 日本の開版の最初は、江戸初期の鉄眼(てつげん)の黄檗版(1663年〜79年)であります。
      これは明蔵6771巻を元にしております。
       
    • 明治になると、「大日本校訂大蔵経」縮刷版(1880年〜05年)、41帙418冊が出版されました。
      これは活字を用いた日本最初の大蔵経であります。
       
      これが、先日貞宗寺さんを訪問した際拝見しました「大蔵経」であります。
       
      内容は、元本を高麗蔵を手本とし、大乗経、小乗経、大乗律、小乗律、大乗論、小乗論、印度撰述雑部、密教部、支那撰述部、日本撰述部の10部に分け、総計1916部8534巻を含んでおります。
       
    • その後、「日本校訂大蔵経」と「大日本続蔵経」が姉妹編として刊行されております。
       
    • 大正時代に入り、1924年〜34年にかけて、高楠順次郎を核として「大正新修大蔵経」が編纂・刊行されました。この「大蔵経」は、現在もっとも多く利用されております。
       
      インターネットのウェブ上で、「大正新修大蔵経」が全て閲覧・印刷が可能であります。
      これは、印度・支那撰述部55冊(2265部9041巻)、日本撰述部29冊(596部2708巻)、敦煌写本1冊、図像部12冊、目録3冊の計100冊から構成されております。
       
    • その後、「日本大蔵経」(1914年〜22年)51巻(729部)、「国訳一切経・印度撰述部」155巻(1935年〜45年、355部3300巻)、「国訳一切経・和漢撰述部」100巻(1936年〜)などがあります。
       
    以上、簡単な「大蔵経」の説明を終わります。
     
     
    大蔵経トップ 貞宗寺由来と萩原雲来上人 貞宗寺特別拝観写真集 HOMEへ戻る